話は三歩進んで二歩下がる。大学の教授とあったので説教くさいのかな、などと全く期待していなかったのだが、本の表紙の美しさにつられ、ついつい購入してしまった。ページを何枚めくっても何も決まらず、大きな展開もない。「何もない」の反対は「何かがある」。でも本当に「何もない」。では、面白くないのか?いや、非常に面白かった。私はこの本を読んでから、小説の舞台を探すために短い夏休みを利用して瀬戸内海へ向かった。毎日のように船で島へ渡り、寂れた路地を探索した。この路地の先には...などと考えると、すでにアスファルトの都会に慣れきってしまった自分にも自然を感じる力が残っていたのかと、ぬるい風が身体をすっと通り過ぎ、しつこい汚れを削ぎ落としてくれた。東京に帰っても、入り組んだデパートの売り場で、開発からとり残された渋谷の路地で、ちょっとしたとまどい、漂流している感じは忘れたくない。会社の昼食の時間、今日は少し先の路地の店まで定食を食べに行こう、そんな些細なことでもいい。自分の日常の中に自分にとってのささやかな「半島」を見つけて過ごしたい。遠足の前日「バナナはお菓子にふくまれるんですか〜?」などと先生にふざけた質問をする小学生のささやかな抵抗のようだけれども...。何年か過ぎ、この本をめくったとき、そこにはきっと老けた姿の自分がいるはずだ。もう一度、あの暑い夏の記憶を取り戻してほしい。少し違うかもしれないが、大人版、村上春樹の「風の歌を聴け」ではなかろうか。今年の夏、何もなかった人は是非...。
現実とは仮初であり自分自身が作り出すものである、ということの希望おすすめ度
★★★★★
半島の先端に橋ひとつで繋がっている小さな島。この島で“クライアント”とも“ゲスト”ともつかない存在として、“休暇”とも“余生”ともつかない日々を送ることとなった四十過ぎの男の話。
この島の存在は男自身であり、島で起こることのすべては男の心象風景でもある。男は世のしがらみから逃れ、“自由”を求めてこの島にやってくるのだが、少しずつ少しずつ、あらたな人間関係が形作られていく。現実から逃れて幻想(仮初)に生きることなど出来ない。なぜなら現実こそが仮初だから。なぜなら現実とは自分自身が作り出すものに過ぎないから。
この島は仮初でありながら、現実であり、自分自身なのである。この四十過ぎの男の心象風景そのものを立体化した、この島の地理や出来事の数々は面白い。地下道、トロッコ、螺旋階段は夢や過去へのバイパスである。島のA地点とB地点が遠いと思っていたのに実は背中合わせだったというのは、過去、現在、未来が直線的なものではなく往復可能なもの、あるいは“人生など一瞬”ということの比喩だろう。
男は成り行きまかせの人生を送ってきたと嘯く。そしてそのことに後悔しないのが唯一のモラルだと。それが果たして間違っているのかどうかなんて答えはこの本にはない。でも希望を与えてくれるこんなくだりもある。
「‾迫村さんはまだ四〇代だろう。これがもっと爺いになってくると、見透かしていたつもりのからくりが、またもう一度、不可思議な謎々みたいなものと化してしまう。そういうことがあるんだよ」
「そりゃいいね」と迫村ははしゃいだ声を上げてみた。「歳をとるのが楽しみになってきましたよ」
「生きるってのは思い出すってことだろう。この島に来て、俺はそれにようやく気づいたよ。」という自分の“影”との対話もある。こうした過去をポジティブに捉え直す視点にも希望を感じる。
大変良く出来ています。
おすすめ度 ★★★★★
まさに夢のコラボです
。ファンなら買って間違いなく損のない品ですね。
感動やドキドキ感を手元に置いて、私同様に何時でも手に取って思い返して頂きたいと願います。