「キャシャーンがやらねば誰がやる!」タツノコプロの看板作品「新造人間キャシャーン」の実写版。といっても、本作はアニメ版とは似ても似つかぬ作品。コアなキャシャーンファンは駄作、それ以下の作品と感じるに違いない。ファンではない人も、「アクションシーンが全然ない」、「会話ばかりで退屈」、「説教臭い」と言う人も多い。
アクションシーンは確かに少ない。アニメではロボットを壊しまくっていたが、本作ではロボットと闘うのはほんの一瞬。その他のアクションシーンも短い。そもそもこの映画をアクション映画として見るのが間違い。本作はアクションシーンを交えた人間ドラマとして見るべきなのだ。
するとどうだろう。画面から伝わってくる悲しみ。"終わらない争い"というあまりにも切ないテーマ。それを描いた作品として見れば、本作は非常によく出来た作品だ。"監督の独り善がりな作品"と呼ぶ人もいるが、これほどまで強いテーマを扱う作品なのだから、これくらい独り善がりで十分なのだ。
今更ながらですおすすめ度
★★★★★
当時、高校生だった私は四人の友達とこの映画を劇場で見ました。
見終わった後、キレイに2:2で面白かった派とつまらなかった派に分かれたことを覚えています。
私はもちろん、おもしろかった派でした。もともと監督のPVが好きだった事もあるのですが
映像、キャスト、ストーリーどれをとっても当時高校生の自分には最高の作品でした。
先日、ふとこの映画のことを思い出しひさしぶりに見てみました。
やはり当時の強烈な感動は無いにせよ、やはり涙はとまりませんでした。
もちろん、荒っぽい部分も目に付いたことは確かです。
でもこんなに、伝えたいことを伝えたいと思う気持ちが伝わってくる作品は
今日の今まで見たことがなかったです。
つまらないと思う作品か、おもしろいと思える作品か、人によって大きく変わる作品だと思いますが、おもしろいと思える人にとってはとことんお気に入りの作品になると思います。
今さらですがレビューしますおすすめ度
★★★☆☆
もうとっくに人々の記憶から消えている映画ですが、騒がれていた当時から思っていた事を一言。
確かに、良くも悪くも、これが平均的な日本映画じゃないでしょうか。特に皆さんがご指摘の「監督の独り善がりな作風」は、確かに見ていてかなり辛いです。
でも、その辺を我慢して耐えて見られたら、まぁまぁです。こんなに売り込める要素の少ない内容(低予算、元ネタはマイナーなアニメ、監督が新人)で、よくぞここまで頑張ったと言う映画です。
まぁ、結構おまけしている部分は多々ありますが、CGが巧かったので、星三つです。
とにかく一回見て欲しい映画。おすすめ度
★★★★★
3回目、見ました。やはり紀里谷さん凄いです。何回見ても新しい発見がある。
この映画をただの反戦映画と思われてる方も多いようですが、ただの反戦映画じゃないですよ…。
誰かを強く強く愛するほど、失った時の悲しみは強く、そして悲しみは憎しみになる。誰かのせいにすれば楽だから。誰かを恨めば生きる意味ができるから。誰かを憎まなければ悲しみで押し潰されてしまいそうになるから。この言葉に出来ない喪失感を何かで埋めたいから。
だから人は人を憎む。
誰かを心から愛していたのに。それはいつしか醜く汚れた感情になっていく。
憎しみの連鎖。自分が幸せになりたいがために誰かを傷つける。幸せになりたいだけなのに。愛する人とずっと一緒にいたいだけなのに。人間が常に抱えている弱さと矛盾。
「誰かの願いが叶うころあの子は泣いてるよ」皆の願いは同時には叶わない。
酷評も多いようですね…
この映画、分からない人には分からないかもしれません…
でもまず一回見てみてください。素直な気持ちで見れば紀里谷さんが伝えたいこと、伝わってくるはず。
すばらしい!良作!
おすすめ度 ★★★★★
大変良く出来ています
。とにかくこれは絶対買いだ!
ご参考になれば幸いです。大変お勧めですよ!!
概要
そこはアメリカが存在しない世界。大東亜連邦共和国の遺伝子工学の権威・東博士(寺尾總)は人体のスペアパーツを可能とする新造人間の開発に勤しんでいたが、その結果生まれたブライ(唐沢寿明)は人類に宣戦布告。博士は、自分に逆らい戦場に赴いて戦死した息子・鉄也(伊勢谷友介)を新造人間としてよみがえらせた…。
吉田竜夫原作の名作SF-TVアニメを『SAKURAドロップス』など数々のPV演出で知られる紀里谷和明監督が、その独自のイマジネーションを駆使して映画化した話題作。ほぼ全編CGと実写の融合による世界観は、まさに新たな映像の時代を予感させるものがあるが、その一方で人肌の温もりがきちんと伝わる映画になっているのが嬉しい。原作アニメと設定の異なる部分も多いが、それらが原作に対するリスペクトを得ての結果であることは、シーンの端々にこめられた要素からおのずと理解でき、結果として原作に対するオマージュ感あふれる作品としても十分捉えることが出来る。悪の総帥ブライの悲しき美学にシンパシーをこめて、そこから全ての争いを否定していくストレートなメッセージ性も、実に潔いものがあった。(的田也寸志)