「お互いが好き」が全てである純粋な関係を描くために、男×女でもなく、女×女でもなく、このようなファンタジックな設定を作者はとったのかな、と思いました。犬になった主人公のしぐさ、動きの描写がとても丁寧で可愛らしい。彼(彼女?)の中には、本当に飼主を思う気持ちしかないのです。
私は梓のような女性は余り感情移入できませんでしたが、ラストシーンはとても美しく、良かったな、と思いました。謎の狼人間(?)朱尾の心の動きも非常に細やかに描写されているのですが、謎は謎のままで、でもそれでいいような気もしました。
「あれかこれか」からゼロへおすすめ度
★★★★☆
一気に読めてしまう通俗性を兼ね備えつつ、松浦さんが考えていることはものすごいのだというのは「親指P」以来の読者でありながら「裏ヴァージョン」で始めて感じたことでした。この小説はその極限にきているようです。
御大・蓮実重彦さんのように、そこに三角関係の構図を壊そうとする「構造」を読み解き、さらに「構造」におさまらない「細部」として、自転車や狼との交流の描写を言祝ぐこともできましょうが(「小説トリッパー」2007年冬号だったかな)、気になるのはより一般的にジェンダーのことでした。
性器ではない性を求めた「親指P」、愛ではない心の交流を求めた「裏ヴァージョン」。本作では、性ではない魂のふれあいを求めているようです。つまり「あれじゃない、これでもない、それでは・・・」と迷い続けるのが今までの作風だったとすれば、「あれでもなく、これでもない、端的に何でもない」=ゼロの地点にたどりついた?
男と女ではなく、女と女でもなく、人間と犬。セックスではなく、愛撫でもなく、性ではない愛情。ジェンダーなし、差別なし、関係なし。
松浦さんはその後の対談(対星野智幸、対川上未映子)で「個人と個人の違いがあることが苦しい」といっています。関係のないところで生まれる情愛やふれあいが、現象学的な主客未分の同根思想とどう関係するのか、気になるところです。
生々しさのあるファンタジーおすすめ度
★★★★☆
著者の作品は「親指P〜」以来。
どちらにも性的な生々しさとファンタジーが共通しているが、
この作品では生々しさの方が強く感じられたのが少し残念。
犬好きな人間が犬好きな人の犬になる、というファンタジーが軸だが、
周りの人間たちの愛憎劇(家庭崩壊、失踪、近親姦)が濃すぎて
ファンタジーの楽しみやそこにある喜びが薄まってしまった。
もっともっと犬の身になった人間(半人半犬)のファンタジーを
膨らませてほしかった。
主人公と同じく、犬を羨ましく思う私の願望のせいかもしれないけれど…。
ラストがせめてもの救いか。
納得の出来
おすすめ度 ★★★★★
今回の発売がすごく嬉しいです
。これだけは手に入れようと思い購入を決めました。
感動やドキドキ感を手元に置いて、私同様に何時でも手に取って思い返して頂きたいと願います。
概要
タウン誌「犬の眼」の編集者、八束房恵は、人を愛したことがなく、自分は半分犬なのでは、と思うほどに犬を愛している。取材で知り合った陶芸家、玉石梓と再会した房恵は、自分を負傷させてまで飼い犬の安全を守った彼女に惹かれ、交流を深めるうちに「あの人の犬になりたい」と願うようになる。房恵に興味を持ち、自らを魂のコレクターだというバーのマスター、朱尾献と死後の魂を譲り渡す契約を結んだ房恵は、オスの仔犬、フサとなって梓と暮らしはじめるが、梓の家族関係がいびつに崩壊していることを知る。
梓を苦しめる人間にできるのは、吠えることだけ。そんな自分に無力感を感じながらも、フサは、何も求めない、穏やかな愛を与えることで、犬なりに彼女を守ろうとする。飼い犬のように愛し、愛されたい房恵=フサは、梓の、これまで誰も入り込めなかった心の深みに入り込めるのだろうか? セックスの介在しない愛は、房恵自身を、満たしてくれるのだろうか?
松浦理恵子は、1978年に『葬儀の日』で「泣き屋」と「笑い屋」の愛を描いて文学界新人賞を受賞した。その後も、『ナチュラル・ウーマン』では女性同士の愛、『親指Pの修行時代』では親指がある日突然ペニスになってしまった女子大生の性遍歴と、一貫して、あまり一般的ではない愛を描いてきた。7年ぶりの長編小説である本作では、主人公が犬になることで、また新たな性と愛の可能性をひらいた。2008年度読売文学賞受賞作である。(取理望)